JAZZと私

いきなりなタイトルですけど、アッシはその向かしジャズギターなんつーものにうつつを抜かしてその手の大学までいってしまった放蕩者だったのですよ。今でも時おりジャズを聞いたりして楽しんでいるし、ウズウズして気がついたらギターに手が延びるなんてこともある。
んま、冷静に自分をみると情けなくなることもありますよ。んだってね、音楽ってのはアッシからすべてを取り上げてきたんですよ。
アッシはどちらかというと、練習好きなほうでした。っていっても曲を覚えるとかはあんまりしなかったのですよ。アドリブだけだったら曲を聞いただけである程度できてしまったからなんです。だから必要なかったんですよ。みんなアドリブって才能のもんだと思ってるから、曲を覚えるのが練習だと思っていたのかねぇ。オイラあんまり練習してないと思われていたに違いないと思いますよ。んま、この通りの性格ですから遊びも本気で遊んでいたりしましたしね。んでもね、オイラ練習のため、機材のため、ギターの弦のために色々生活を切り詰めたりしてたのですよ。あと、アメリカいくためとかw お陰で色々と損もしたと思う。だから、お金のかかる女遊びとかは全然してなかった。ってか、それ以上にアッシの中にある不安が女に対して心を開かせなかったのかねぇ。んま、音楽やってる間はステージに立つ→緊張する→不安になる。って心の流れが余計そこから自分を遠ざけていた。オイラ女がらみは本当に弱いんだよね。絶対的不安がそこにある。どこか相手を信じられない。当たり前だとかいわれるかもしれない。んでも、オイラだめだ。普通じゃない。どこか、女一人手なずけられない自分には生きていくというか、安心する場所がないという絶対的不安が存在している。そんな不安もステージにたって人前で丸裸にされると余計に増すのですよ。そして、余計落ち込む。ダメになる。
要は音楽とかかわることで、自分のダメなところがどんどん増幅されていった。
だのに、いまだにジャズ好きなんですよね…。
今のどうしようもない生活状態を引き込んだのはジャズと関ってた自分なのに。そんなジャズが今でも好き。

そしてね、結局生きていくことの不安はジャズを離れても解消されないまま。オイラ日々恐ろしい魔界を生きていると思ってますよ。お金で多少その不安は解消できるかもしれないけど、こりゃダメだw このままじゃいつかまた誰かにやられる。そして、立ち直るのにえれぇ時間がかかるだろう。
やっぱ、走り出す前にだれか信じられる相手が欲しかったよ。今仕事で走ってるけど、また女がらみでやられるんだろうな。恐いな。
そんな恐怖をジョンコルトレーンの西洋金属尺八がちょっとだけなぐさめてくれてる昼下がりでした。