文少なくは良きしらせなれば心配めされるな

ここのところ音信不通にてなにかと心配をお掛けしたこと面目なく思っております。貴方様におかれましてはあいも変わらずご健勝とのお話を耳にいたしました。このまま筆不精で霞のごとくどこかへ消え去ってしまおうかとも思ったのですが、この文だけが我が命の証なればなにかを残しておくべきと思い筆をとった次第です。
私はこのところ、身に何か不具合がおきるわけでもなく、ましてなにか人生を変えうるような良いことがあるわけでもなく、世の大局を揺るがすほどの何かを成し遂げるでもなく、漫然とした日々をおくっております。そして、あいも変わらず小さな不平不満を時折ツイッターにつぶやいたり、どうにかしてこの不況時でも金を稼げないものかと金策に頭を痛めたりしております。気がかりといへば、ここのところ咳がとまらず、あたかも労咳のごとく咳むせておりますことがだけが気がかりであります。
そういえば、この間のことなのですがうちの母に胃がんがみつかりました。突然のことでどうしたものをかと狼狽いたしましたが、染色体検査で陽性の反応が出たと医者の報告を聞いたときには諦めがつきました。まだ十二指腸や肝臓には転移していないことから粘膜の癌であろうと容易に推察されたので、医者に頼んで切ってもらうことにいたしました。
幸い開腹手術の際にも他の臓物への癌の転移は認められず母は一命をとりとめたようです。ただ、随分と齢を重ねてからの手術ゆえ麻酔への耐性や環境の変化への適応が心配されました。心配のとおり母は術後2日目にして「術後せん妄」なる症状を発し、この世のことともあの世のことともつかぬ「をかしな」ことを口走るようになりました。このときは癌の宣告を受けた時より狼狽いたしました。もちろん、狼狽したのは私自身であります。このまま母は正気を取り戻すことなくこの世のありとあらゆるものを恐れながら、また自分の身を呪いながら死んでいくのではと哀れに思えたのです。私は母の正気を取り戻すために献身をつくしてなんとか母を地獄の淵から連れ戻すことができました。それから3日ほどしていまや流動食や3時の甘いものを摂取するまでに回復した母ではありますが、まだ他の臓物に癌が転移していないとも言い切れず、まして手術で体力を使い果たしたようで歩くのもままならず、3間ほど歩いて厠に赴くのが精一杯のようです。
私も私とて、労咳のごとき咳を患いながら病院に足しげく通うも自分のことよりも重病の母のことを優先してしまうため未だ医者に診てもらう事も無く、母や職場の同僚の前で咳き込むのを我慢しながら一日を過ごすという窮屈な生活を強いられています。日々の時間は飯炊きやあくる日の朝げの仕込み、洗濯や掃除に吸い取られ息つく間に夜も更けている始末。また、安月給ゆえ職場を休むこともままならず、やもめ暮らしとはかくも惨めなものかと日々自らの身の上を嘆いております。しかし、こうしたことのすべては自らの招いたことの結果とただひたすらに反省するのみであります。
また、差額ベッド代なるものを病院より請求されるのですが、母の命を繋いでいるのは他ならぬ病室と看護のおかげであるのでこれもまた高額なれど支払わざるを得ない御あしであります。私の安月給はそれらにいとも簡単に吸い取られていつぞや貯金すらも底をつき身動きがとれなくなるのではないかと不安に思うのですが、その不安も恐怖といふものではなくただただ漠然とかつ漫然と私と金の縁のなさを身にしみて思い出すのみ。人の命は金で買うことができないのです。
人の命ははかないものと、この度よくよく思い出しました。いつぞや、我死スルベキ時がくるのでしょうが私はなるべく静かに人に迷惑をかけず霞のごとくこの世を去りたいものだとしげしげと思う次第であります。
私はあいも変わらずこのように孤独で、ありきたりな生活を達者で送っております。貴方様に幸あらんことを切々に願ってやまないのであります。
それではまた気が向いたときにでも文をしたためますゆえ、期待などせずに待っていてください。筆不精ゆえいつ文が絶えるかわかりませぬが、それもまた我が霞のごとき人生なれば平にご容赦いただきたい。
ご健勝をおいのりいたしております。