その後

労咳のごとき咳はおさまりにけり。また母に於いては胃がんの手術の経過もよろしく、一昨日に退院せし候。医者の腕、母の回復力にいたく感服せし候。我、相も変わらず何をなすこともなく至って平凡に過ごしにけり。我は我とて、朝夕とやり残しの仕事をただ淡々とこなし候へば、ただつかれはててはふ抜けの如くうたたねて候。

世は年の瀬にて、街にはなにやらおかばしょのやうな明かりが多く灯り賑わって候。それとて、我には遠き世の出来事のようにおもへて候。毛唐の年明けは12月25日いちにちのみと聞き及びしが、いとをかしく候。

我が日の本の正月は1月1日とて3が日の習いもあるゆえ、ぜいたくのきわみとおもへり。愛しき人に会いにゆくなら3日のうちいちにちをついやせばよろしく、まことこのくにの生まれでよかったとおもへる。とくに旗も立たぬ12月25日を許婚とむかへるを至上とするといふのはあはれなり。そのいちにちを争い多くの若き男女がさきを急ぐとはなんとせちがないことか。故に世にはびこる12月24日の夜に許婚と過ごすならはしは貧しきの極みとおもへり。

このやうに、いと貧しき世相なれども、我死スルこともなく、ただ恥じをさらしながらいきながらへて候へば、ただの一日一刻たりとも無駄にしてはならないとおもへてならぬ。