無理してあきらめようとするから無理がでる

昨日書いた文字通りの失恋がおそらく一番つらい瞬間なんだろう。そして、自分で読み返していて思った。別に無理して忘れることはない。心の奥底でずっと愛していればいいのだ。
男というのは誰かを本気で好きになると、何かしなくてはいけないと思うものである。俺にだってできることはある、何もしないことをあえてすることだ。もう、近寄らないというのだって一種の愛情表現だ。
このところ、色々な検索エンジンからジャンプして、他の失恋をした人たちの書いたコンテンツを読んでいて思った。みなさん、失恋しても相手の幸せのことを願っている。本当のことをいうと俺は今まで一度も分かれた相手に対して本当に幸せになってくれと思えたことはない。ただ、世間にあわせて、相手に合わせて「お幸せに」と言ってきただけだ。今回もそうだった。あとは、自分の幸せを自ら踏みにじることによって自分の愛情をどこかへほうり投げることで必死だった。俺のもとを去った相手の幸せを考えるなんて俺の場合は、相手をあきらめ、自分の愛情を投げ捨て、都合よくこの先を生き延びるための方便にしかすぎない。
俺はいつも誰かを幸せにしたいと思っている。自分の手で、自分の心で。それが本音だ。相手が他人と幸せになっても、まったく満足できないどころか傷つくのである。
でも、自分自身の手で相手を幸せにしたいという願望希望はいつもかなわない、はかないものだ。俺は心のどこかで自分は幸せになれないと決め付けている。だから、相手の幸せだけを考えて自分の全てを相手に投げ出す。見返りを求めず愛し続ける。相手を幸せにするためには自分も幸せにならなければならないのに。まったくもってそれができない。
自分の成功とか、お金とか、自由とか、そういうものはとっくの昔にあきらめているだと思う。誰かのためにしか、自分を使うことができない。だから、失恋すると目標を見失う。
そうしてダメになっていく。
もう、とことんダメになってもいいかと思い始めた。俺の一生のバイタリティーはそうやって幾人かの女に注がれた。そして、それは藻屑と消え踏みにじられたことも少なくなかった。最後の分はあの人にそそがれたのだ。このまま底辺な人生で飢え死になり、性病でしぬなり、情けなく死んだほうが幸せだ。無理して誰かと幸せになんかなりたくねぇ。
誰か他の男となんて幸せになってなんかほしくねぇ。だから、俺も幸せにならねぇ。邪魔するきなんて毛頭ないが、誰かと幸せならもう二度と俺の前に現れないでほしい。
よく女の人はわれら男どもをさしてロマンティストなんていうかもしれない。実現不可能なことを夢見ているように思っているかもしれない。しかし、これが俺にとって一番リアリティーのある選択だ。俺はリアリストだと自分で思っている。
やっぱり、好きな人を忘れるなんて無理だ。状況を変えること、それが俺ら男に課せられた使命だ。どんなに困難な状況でも決してあきらめないこともときには必要なのだ。もう何もできなければ、しなければいい。そして、迷惑がかからないようにじっとしていればいいのだ。
これが今現時点でできる最良の心構えだ。本能に従いあきらめず、良識に従い邪魔しない、姿を現さない。誰かを愛しとことんダメになるのも、ひとつの幸せだ。
もともと、あってなかったような命だ。これでいいのだよ。俺はやっぱり不器用だ。都合よく生きるなんてできねぇ。