まぁ、このブログを始めたころのテーマだったわけですが。

しばらく書いてないわな。
まぁ、時間はたっぷりあったわけで過去のコンテンツを読み返してみたりした。収穫はあったよ。まぁ、随分と苦しんだもんだねぇ、俺。
でもさ、今だから冷静に思い出せることもある。色々振り返ると「俺って随分あの人に愛されていたのかもしれない」と冷静に思った。
ただ、それもこれも全てをかき消してくれたのは、あの人が他の男とつき合ってたこと。しかも、俺の周囲の社会では彼の方があの人の「彼氏」として認知されていたこと。俺はそのことで耐えてばかりだったこと。
きっと、俺が失恋していたのはこのブログに移転するずっとずっと前。あの人に「つき合っている人がいる」と言われたその瞬間だったのだと思う。それからも、大体3〜4ヶ月はそばにいた、というか、そばにいることができた。そして、そばを離れ世間的に俺とあの人は決別した。そして、このブログを始めたのだけど、それから2ヶ月くらいはあの人の手の届く範囲にいた、というか、いれた。
きっと、そばにいれたのはあの人と過ごした時間がとっても安らぐものだったからだ。
でも、その安らぎもしょっちゅうあの人の彼氏という存在に踏みにじられ、毎度毎度その度に『嫌な大人』の思考が愛されていた実感を破壊してくれた。
俺の中の大人が俺に向かってこういっていたのだよ「お前は間男なんだ。所詮あの人には認められていないのだよ。あの人の優しさってのはきっとお前に情けをかけてくれているんだよ。いくらお前が愛情を伝えようとしても、あの人は彼氏と飯でも食いにいって、いっしょにゲームでもして、酒で酩酊してしまえば全部忘れてしまうんだよ。一晩寝ればお前のかけた愛情や労力はすべて無駄になる。そして、お前がこうして苦しんでいる間にもヤツらは二人でセックスでもして楽しく時間を過ごしているに違いない。それに比べてお前はなんだ。苦しんでばかりいてまた時間を無駄にしている。そろそろ、次に好きな女ができたときにでも備えて自分の巣くらい用意しておいたらどうだ? 家もなければまた同じ苦しみを味わうぞ。お前は貧乏でどうしようもなく臆病で挙句のはてに欝とかいう病気までやっている。お前は弱いんだ。あの「彼氏」の親の資産を買収出来るくらいの金を用意しておかなければ、また同じような苦しみを味わうことになるぞ。何をやっている、お前に無駄にできる時間はないのだよ。言葉にだまされてはいけない。言葉などいくらでも作れる。行動を観察しろ、良く見ろ、あの人があの彼氏と本気で別れると思うか? あの人はわざわざお前に解かるように彼氏と喧嘩しているよな。でも別れない。なぜだ? 結局別れる気がないからだ。お前はまた時間を無駄にしているのだよ。残された少なくて貴重な時間をな。とっとと距離でもおいて夢からさめろ」と。
しかし、俺も俺で一晩なんとか寝ると苦しみは軽減されている。またあの人にあう。すると不思議なくらい安らぐ、落ち着く。「これさえあれば何もいらない」と思う。そして「愛には色々な形がある。人それぞれだ。きっとこれも愛なんだ」とさえ思う。それほど好きだったのだよ。別になにか大人な愛の証があったわけでもない、とてつもなくプラトニックでどちらかというと中学生の恋愛みたいなところもあったかもしれない。でも二人で過ごした時間は極上のものでかえがたいものだった。
そして、俺の中にいる本当の俺はこういう「お前だって人並に誰かを愛してみたくないのか? 今がそのチャンスだろ。もう、こんなに人を愛せる機会ってのはないかもしれないぞ? ずっと耐えていればいつかきっと解かってもらえるさ。お前にだってきっといつかは幸せになれるチャンスがあるんだよ。幸せになりたいんだろ。誰かを幸せにしたいんだろ。だったら、耐えろ。相手のしあわせを考えたらお前がどこかに消えてしまうのはよくない。好きだったら、相手のことを第一に考えろよ。そのほうが幸せじゃないか。だから、今は耐えるんだ。この幸せがあればなんだって耐えられるだろう。この後に解かっている様に訪れる不幸のことなんてわすれてしまえ。今を楽しんでおけ。この幸せを糧にお前はまだ耐えられるはずだ。がんばれよ! この幸せを守るんだ」と。
結局俺は「あの人のことを一番に考える」という、この深すぎる愛情のために例の彼氏に追い詰められてしまった。卑劣にも愛情を逆手にとられてコミュニティーまで出ていく羽目になった。愛情のためにやったことだ。それしか俺にできる愛情表現は無かったのだ。
そして、いつか、また再び二人でやり直す可能性があるとすれば、それは無理をしてあの場に居つづければありえないことだった。例の彼氏というやつはなりふり構っていなかった。ともかく必死で俺を排除しようとしていた。俺がいるかぎり、あの人と別れることなんてありえんだろうと思った。俺にだけはあの人は渡さないという意地をヒシヒシと感じた。あげくのはて彼は俺がまだあの人の手の届く範囲に居る間はずっと、俺に対する防御線を張りつづけまでしたのだ。
結局俺の愛情は踏みにじられた形となった。例の彼氏のお陰でそうさせられた。そのことを思い出すと今でも結構な苦しみを感じる。

しかし、まぁ、苦しみとは随分決別できてきた。なんとか落ち着いて考えられるようになってきた。ようやっと過去のことになってきた。

でもね。結局あの人への想いだけは今でもとってもリアルなものさ。もう、随分とあっていないのに。やっぱり、かなり大好きなんだな。今でも変わらず好きだ。いつも心のなかであの人に語りかけている自分がいる。愛しいあの人はなにをやっているんだろう。元気だろうか。いつも気にかかっている。そして、なにより、あの安らぎを心のそこから求めている。

ただし、俺自身少し変わったような気がする。すこしばかり冷静になった。冷静にならざるをえなかった。もともと、あの人にしてみれば俺は冷静であきらめも早く、感情の起伏の少ない人間に思えたかもしれない。でも、あの人が俺の感情というか、心を随分掘り起こしてくれたのだ。せっかく掘り起こしてもらった心だが、この長い時間一人で耐えてしまったために随分とまた、埋もれてしまった。

今は正直に自分の気持ちをブツける自信はまったくない。たぶんできない。きっとあの人にまた会えば自分はトロっと溶けてなくなる。そしてあの人の全てを受け入れたくなるだろう。きっとあの人も少しはあのころとは変わっている、と、…思う。だけど、その変化の積み重ねが成長だと思う。いったりきたりしながら、人間は成長するのだ。心だけは死ぬまで成長できると思う。だから、それを受け止めたい。それが今一番安心できそうなきがする。

結局俺はあの人なしじゃ生きていけない人間なのかもしれない。つまり、今はほぼ生かされているだけだ。生きているというのは幸せなことだ。生かされているというのは不幸なことだ。

そして、再び本当の俺がいう「生かされているだけの人生はもうこりごりだ」。